秋のサケ漁が始まるころになると、コタン(集落)の人々はサケの上る川の河口に集まって「川の神の祭儀」を行います。
彼らの祈りの言葉はさまざまな神に向けられ、入江の神には多くのサケを上らせてくださいと、渚の神には海が荒れないよう穏やかでいてくださいと、また川下の神と川上の神にも、川を汚さずに利用し不潔なものを川に入れないのでサケを上らせてくださいなどと、先祖伝来のしきたりに従って祭儀を行ってきたのです。
古来、道東各地のアイヌコタンでは、サケ漁の時に頭の毛のはげたカラスがいると豊漁になるとか、夜に星や天の川がはっきり見えると豊漁になるといった言い伝えがあるほか、川に関する厳しいタブーが数多く存在しました。
サケがやってくる前には女性や子供は川から遠ざけられ、川での洗濯や尻をまくって川を渡ることが禁じられたほか、お産のあった家の男は、赤ん坊のヘソの緒が取れるまで漁に出ることができなかったといいます。また、漁の期間にはサケをほかの魚といっしょに煮ることを禁じ、初めてのサケは女性が料理することを許さなかった地方もあるほどです。
サケ漁が始まって最初に捕ったサケは、ほとんどのコタンが神に捧げました。釧路地方のコタンではサケの頭と胴体の間にあるノドの部分を炉の中に投げ入れて火の神に捧げ、心臓などの内蔵は棒に刺して焼き、その他の神々に捧げるという祭儀が行われました。
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アイヌ民族の独特の漁具であるマレック(もり)を用いた漁は各地で行われ、これで川岸や丸木舟からサケを突いて捕っていました。釧路川などの大きな川では、網を使ったヤシケ漁も盛んでした。この漁は二隻の丸木舟の間に袋状の網を張り、別の船で魚を追い立てて網へと追い込む漁です。このほかにも川をせき止めてサケを捕るテシ漁や、中に入った魚が外に出られない仕掛けの籠を用いたウライ漁、ラオマップ漁などがあります。
一方、捕ったサケの食べ方はというと、内蔵を取って生のまま食べたり、フキの葉に包んで蒸し焼きにして食べ、残ったものは乾燥させて保存していました。生で食べたのは頭や下アゴ、エラなどの軟骨部分やスジコ、白子、腎臓、目玉、舌などです。
干し魚は背割りにしたもの、三枚におろしたもの、半身にしてから縦に細く裂いたものの三種類があり、背割りにしたものはごちそうとして、もちのように四角く切って食べました。また、乾燥させた白子は煮物に入れ、イクラも乾燥させてからおかゆなどに入れる調理法もあったようです。 中骨も捨てることはなく、干したものを出し汁にして飲んだり、古くなったものでも取って置いて、いざという時にはアワなどと煮て食べたといいます。
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− 参照-続、釣と魚の雑学事典 −
「千両祝い」または「万両祝い」といわれるような大漁に恵まれた時には、マイワイとかマンイワイと呼ばれる祝事が船主によっておこなわれます。
「マ」とか「マン」という言葉には「幸運」という意味が含まれています。
「万祝」は恵まれた大漁に対しての「お祝い」、つまり大漁祝いのことを指しているのです。
予想以上の漁獲があった時、船主、または網元が、船子達を集めて祝宴を開きます。
その宴席で、引出物として、お揃いの『はんてん』を出しました。これを「万祝い」といったのです。
あの晴れがましい漁師の祝い着です。
大漁があると、一同打ち揃って「万祝い」を着て、まず氏神様や信仰している社寺にお参りをしました。 大漁祝いの“万祝い着”は、関東、東北、北海道などにありますが、全国的な風習ではなく、とくに関東地方、それも銚子を中心に房総に多く見られます。宮城の気仙沼では「万祝い」を“看板”といっています。はんてんの背中に屋号や船名を染め抜いてあるのはこの地方独特のものです。
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