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釧路水産業の歴史

明治年間大正年間昭和年間平成年間

■ 大正年間 ■
大正2年 ●鮪漁船が遭難する。(人員63名、漁船18隻にのぼり、鮪漁業再起不能と憂慮される。紫雲台に「釧路遭難漁者之碑」あり。)
●本州の発動機付鮪漁船が来航して、釧路漁場で活躍する。
●釧路郡漁業組合が、発動機船建造奨励のために資金貸与法を定める。
3年 ●飯塚 城之助、嵯峨 久らが漁業組合の貸付資金などにより、率先して発動機船を鮪流網漁業に使用して好成績をあげる。
  (新造船の試運転は7月13日に行われた飯塚のときわ丸が初めて)
4年 ●仲買人組合の菅野沢蔵らが共立魚菜市場を譲り受け、釧路三鱗株式会社魚菜市場として発足する。
●釧路鮪漁船組合が設立される。
●北海道水産試験場員釧路駐在所に所属する試験船(6トン 石油発動機)が建造される。
●この頃、萩原造船(入舟町)、浜頭造船所(大正2年)など造船所の新設が目立つ。
5年 ●釧路港修築計画が拡張され、北防波堤の築造が追加される。
●北海道水産試験場員釧路駐在所が釧路支場となる。
6年 ●北海道水産株式会社設立。発動機船2隻(いずれも12.3トン 16馬力)を建造して、従来の製造事業の他、沖合漁業に進出する。
  この頃より越中漁民の鮪流網による来住が多くなる。
7年 ●北海道水産株式会社が前年に引き続き、底曳船(12.3トン 16馬力)を6隻建造し(このうち4隻は機船)、底曳漁業を本格的に行う。
  このため、和船手繰網漁業者の動力化の機運が高まる。
8年 ●渡辺 啓作が、従来の川崎船が行っていた「駈け廻し漁法」を機船底曳に改良して応用、大きな成果をあげる。
●他地区からこの底曳入会船があらわれる。北海水産の北海丸他3隻が冬期間室蘭根拠で入会する。
  この後、釧路底曳15隻毎年入会する。
●小樽から初めてドラムを導入する。(ネジリバナのような形をしていたので「チャブシ」とよばれた。)
●第1次世界大戦後の不況始まる。魚粕が暴落する。
  (百石=15トンで4,000円が10分の1ぐらいになる。)
●北海水産が倒産する。 同社の底曳船を北蒲原郡出身の船頭が買収して機船底曳漁業を行う。
  (平野 作造、猿子伊三郎、渡辺 啓作、田村 友太郎ら)
9年 ●釧路発動機漁船組合(機船組合の前身)が設立される。
●8月8日釧路、十勝地方の豪雨で釧路川、阿寒川が氾濫し、未曾有の洪水となる。
  (このとき阿寒川が現在のように変わる。)
●釧路町が釧路区となる。
●釧路港修築計画変更。(港域が拡大される。)
●機船底曳船50余隻に達し、川崎船手繰が影をひそめる。
●新潟県西蒲原郡間瀬地区出身者の底曳船漁夫としての人稼が盛んとなる。
10年 ●釧路川治水工事が着工される。(新釧路川の開削)
●釧路郡漁業組合が三つに分割される。(釧路町が区になったため。)
●釧路東部・釧路西部漁業組合が発足。(釧路郡漁業組合はのちに昆布森漁業組合となる。)
●日高地方で行われていたタコ空釣漁業が桂恋地区に導入され、次いで釧路沿岸一帯に普及しはじめる。
11年 ●釧路区から釧路市となる(8/1)。
●釧路港南防波堤が竣工する。
●厚岸大黒島の底曳漁場が開発される。
12年 ●底曳船の装備、漁具ともに漸次改良され、遠隔地への出漁が容易となる。
●タコ買取運搬船が釧路へ回航しはじめる。(カネサ 近藤 佐平が嚆矢である。)
●このころ、釧路底曳(15隻)が新潟港を根拠とし、操業を行う。(2〜3年つづく。)
13年 ●発動機漁船組合の嵯峨 久らが共立魚菜市場を買収し、三ツ鱗共同魚菜市場とする。
  (現釧路魚市場の前身)
●本間 源蔵、底曳網に「カブセ」を導入し、漁獲効率を上げる。
●底網によりスケトウダラが初めて漁獲される。
●底曳漁船が無注水式発動機の使用を始める。
14年 ●北海道水産試験場釧路支場廃止される。
●この頃よりスケトウダラすり身製造が盛んとなる。
15年 ●釧路港第一期修築工事が終わる。

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